大江戸のはじまり大江戸のはじまり

大江戸のはじまり

戦後の発展と共に
生まれた大江戸。

東京土産の大江戸

大江戸の創業は1948年。創業者、齊藤祐はそれまで勤めていた国鉄を退職し、東京に遊びにきた旅行者に東京土産を楽しんでもらいたいと、菓子販売を開業しました。駅の販売所、今のキヨスクで東京土産としてお菓子を販売し始めたのが大江戸の始まりです。
現在は社名になっている「大江戸」は、当時、東京土産のコンセプトで企画したお菓子の名称でした。

当時の「大江戸」は、こんぺいとうや豆菓子に加え、カルメ焼きやおこしなど、他社からも仕入れて10種類を詰め合わせていました。当時としては珍しい商品で、駅だけでなく高速道路のパーキングエリアや空港、船内、歌舞伎座、演舞場など、いろいろな売店で人気を呼び、大江戸は東京土産として多くのお客様に親しまれていた存在でした。

東京土産のコンセプトで生まれた大江戸のお菓子東京土産のコンセプトで生まれた大江戸のお菓子

きんつばの大江戸へ

1970年代半ば、経済の成長に合わせて日本人の生活も豊かになると、お菓子の世界も乾物よりやわらかな生菓子が好まれるようになりました。時代の変化に合わせ、大江戸は新しい東京土産として、「きんつば」を作り始めることに。これを「大江戸きんつば」として販売するとそのおいしさから話題を呼び、菓子業界の賞も受賞。今日に至るまでの看板商品となりました。
「当時は列車での車内販売も大きな収入源で、ウチでは製造していないお菓子類を他から仕入れて小分け販売していました。ですけど、段々と価格的に厳しくなり、各メーカーも自分たちで販売するようになって、続けることが難しくなりました。その分、『大江戸きんつば』などの生菓子製造に注力するようになったのです」

生菓子 大江戸きんつばの製造に注力生菓子 大江戸きんつばの製造に注力

大江戸と昭和の文化人

西条十八先生から贈られた唄

「大衆をこよなく愛した詩人、作詞家」と呼ばれる西条十八(さいじょう・やそ)。戦後の昭和の動揺や流行歌を多数生み出した巨星です。美空ひばりさんが歌う「越後舞子の唄」を作詞したことでも有名です。
大江戸の創業者と交流があり、西条氏が大江戸のために作詞し、贈ってくれたのがこの「大江戸の唄」。昭和の賑やかな東京下町の様子が。
東京の様子は時代と共に変わっていきますが、昔から変わらない東京の「粋」や「人情」を、これからも大切に大江戸は持ち続けていきたいと思います。

大江戸の唄

大江戸の顔。
八代目鳥居清忠が描いたパッケージ

長年愛されている、大江戸のパッケージ。この歌舞伎絵は8代目鳥居清忠が描いたもの。
鳥居派は浮世絵の一流派で、江戸歌舞伎とは切っても切り離せない存在です。江戸時代より看板絵や番付け絵を書き続けている鳥居派。
八代目鳥居清忠もまた、江戸の文化を引き継ぐ画家であり、劇場土産を売る大江戸のお菓子に花を添えてくれました。

八代目鳥居清忠が描いたパッケージ

これからの時代も大江戸と

三代目大江戸

3代目大江戸を引き継いだのは女性職人の福田貴子。大江戸きんつばの品質には絶対の自信を持っている。
「季節によって多少寒天の量や塩梅を変えていますが、配合自体は誕生以来変えていません。当時は砂糖や添加物をたっぷり使う菓子が多かったので、『甘さ控えめ』という印象を持たれていたそうのですが、今では素材本来の味を楽しめる菓子としてファンになっていただける人が増えているんです」

限られる人手と生産量の増加から、数年前にきんつば製造用の機械を導入。機械メーカーと膝を詰め合わせて構造を突き詰めたことで、古くから変わらない仕上がりを実現した。さらには、ひとつひとつ生地のあまりをハサミでカットして口当たりを良くしたり、「大江戸」の焼印を押したりという一手間を掛けることでも、商品としての質を高めている。

三代目 女性職人の福田貴子三代目 女性職人の福田貴子

皆様のご愛顧に感謝

2009年、時代の変化による経営難から廃業を考えたこともありましたが、大江戸を続けてほしいという卸先やご愛顧を頂いているお客様からの温かい応援を受け、今も大江戸はお菓子を作り続けることができております。
『おいしいきんつばありがとう』と、お客様から頂く言葉が私たちの励みです。私たちの商品を望まれている方に良い品質でお届けしていく。そのことを、これからも守り続けていきたいと考えています。

お客様からのお言葉が励みですお客様からのお言葉が励みです
大江戸のはじまり大江戸のはじまり